日本史学でさがしたけど意外に近世初期の上層町人の史料は少ないらしい。彼らの没落とともに消えてるらしい。ひとつ論文みつけたけど余り影響力もたない論文かも。
明らかに平家納経の影響を無視できないが、印象的な図像がそこにあってもそれを取り込むという選択は必然ではないはず。天下人の庇護というくくりがないということ以外になにかないかな。
しかしソウタツが近代的自我をもったアーティストというふうには持っていきたくないにゃー、と思った。