ルフティック

なんというか。
実際のところ
私の素直な反応は
ああこことここがついに繫がってしまったのだな
とゆうこと。
君が彼と似ているのはいいとして
かつて私が愛でた
その周辺を
私が綴ることは拒否するのに対し
私を否定(否定ではないと言われた)する
その存在自体を通じて
私が狭くなることを拒否することは許されないのか。
てゆうか
じゃあその釣りをわたしもすべきなのか?
と思考が極端化する。
きょうちゃんパパの「普通にしてくれ」に対し
きょうちゃんママが「普通じゃなくてもいいのよ」とゆったような
寛大さはまだ存在するのか。